ビリビリと、硝子から建物から空気から鼓膜までをも震わせる。

嗚呼、なんと心地よいのだろう。

嗚呼、とても愛おしい。









この国はもう狂ってしまったのだ。

国とは人。

だからこの場合、狂い狂いまくっているのは人。そして、その人であるところの私も例外ではない。

国民全員が狂っている。

もしかしたら、本当は、普通の異常ではない人間など、この国には、否この世界には存在していないのかもしれない。

そう思うと、余計に滑稽で可笑しかった。









私が軍隊というものに入り、あのお方の側近になってから、もう6年経つ。

時間の経過というものは、早くもあり遅くもある。

早いも遅いも感じるのは人間であり、時間とは万物すべてのモノに常に平等である。

時間だけは平等である。

そして、その6年の歳月でも戦争は終わりはしなかった。

戦争もあるひとつの感情においては人々に常に平等である。


恐怖


それは人々の心に根強く巣食っている。

いや、元から"恐怖"というものは生まれながらにして人間に巣食っている感情である。

小さな小さな赤子でさえ、"恐怖"という感情にはとても敏感なものだ。

戦争開始から13年もの月日が、人々に"恐怖"を巣食わせた。

"恐怖"は"恐怖"により大きく大きく成長していく。

"恐怖"ゆえに狂っていったのだ。









極卒様の演説の始まりから終わりまで、私は何時も極卒様の執務室に居る。

それは私が望んだ事ではなく(当たり前だが私は常にあのお方の傍に居たいと願っている)、極卒様がお望みになった事である。

理由は定かではないが、極卒様が私にそう望んでいるのだから、私はそれに従う。

私は常に極卒様の手となり、足となり、部下となり、下僕となり、極卒様が望むのなら私はどんな事でも全力で成し遂げるし、

極卒様が殺せと仰るのなら私は私をも殺せるし、極卒様が命令なさるのであれば私は地獄にだって行く。

私は極卒様の傍で生き、死ぬのだ(これは私自身が決めていた事だし、極卒様がお望みになられた事だ)。

何時も、何時でも、何時までも、私は極卒様の帰りをただじっと椅子に座って待っている。









ビリビリと、硝子から建物から空気から鼓膜までをも震わせる。

嗚呼、なんと心地よいのだろう。

嗚呼、とても愛おしい、あのお方の声。









街は所々から黒炎が上がり、幼い頃に見ていた色取り取りの世界は何時からか色を失った。

世界に元から色が無かったかのように、モノクロの世界が日常として広がっていった。

そして、戦争へと駆り出されるのは男だけではなくなった。

志願するのであれば、女でも戦地へと向かうようになったのだ。

お国のために、何かしなければならない。




『戦う意思と覚悟があるのなら、お国の為に戦え』




そう仰ったのは、そうして私を戦地へと導いたのは、確かに極卒様だったのです。

恨み言など出ようものか。

私はあのお方の傍に居る事を願って願って願って願って願って、此処までやっと来れたのだ。

後悔も憎悪もする筈がない。

捨てられ、地に這いつくばって生きようと、でも生きられず息を引き取ろうとしていた私を助けてくれたのはあのお方だ。









どうやら演説もあと少しで終わりのようである。

目を瞑り、あのお方の声へと全神経を集中させる。

無駄な、耳以外の残りの四感は機能させないようにする。

ビリビリ震える私の鼓膜。









『我々は!大宇宙の意思!!』









嗚呼。

狂っている狂っている狂っている狂っている!!!!!!!!!!

みんなみんなみんなみんなみぃんな狂っている!

狂い始めたのは戦争のせいである!

だが、より一層根強く根強く巣食って巣食って巣食わせたのは!!!

あのお方、極卒様なのである!!!!!









『ほろろと鳴く猿であり!!!或いは、ほろほろと踊る猿であるがゆえに!』









私はそれを解っている!

それでも、もうあのお方無しでは生きていけないのだ。

マインドコントロールにも似たあのお方の演説に、私を含む国民全員が魅せられているのだ。

狂っている。

狂っている。

狂っている。

けれど!我々は、お国の、否、あのお方、極卒様の為に・・・!!!!!!!!!!










が
 ち
  ゃ
 り
   。










と、執務室の扉が開いた音がする。

外では狂った歓声がビリビリと硝子から建物から空気から鼓膜までをも震わせている。









「ひょひょひょ、目なんか瞑って一体どうしたんだい?」









その声で初めて、執務室に極卒様が帰って来ていた事に気がついた。

五感全てを働かせて、目を開けると、極卒様が私の真前で何時ものように深い深い笑みを浮かべている。

まるで蛇に睨まれた蛙のように、ぴくりとも動く事が出来ない。

否、私は動く事を許されていない。

何よりその証拠に、私の両手に被せている極卒様の手は、その黒くて綺麗な爪を私の手に食い込ませているし、

何より、睫毛の長い大きな大きな真ん丸の黒い瞳が、私の双眸すら、逃さない。









「なあ、どうしたと訊いているのが、解らないの、か?」









爪がまた深く食い込んだ。

痛みに思わず顔を顰めてしまったけど、目はやはり逸らせない。

違う、逸らしてはいけないのだと私の中の本能が告げる。

未だ冷静さを完全には取り戻せてはいないけれど、一呼吸置いて


「申し訳御座いません!極卒様の演説をよく聴こうと思い、耳以外の感覚全てを機能させないようにする為、目を瞑っておりました。

極卒様の入室時に気が付かず、極卒様のご質問への返答も遅れてしまい大変申し訳御座いませんでした!

罰はこの身に受ける次第であります!!」


と、(極卒様の綺麗で雪のように白いお顔が、唇と唇とが触れ合うぐらいの距離にあるので真っ赤な唇に触れないようにして)私が言うと

爪の食い込みが浅くなった。

そして、極卒様は嬉しそうに笑み「いい子、いい子」と言いながら、私の唇をちろちろと舐めた。









「なあ、ボクの演説はどうだった?猿達は満足していたようだけど、お前はどうだったんだ?」









自分の両手から血が滴っているのが分かった。

また新しい包帯を貰って来ないといけないと思いながら、今度は首筋に歯形を残している極卒様に返答した。


「何時もながら素晴らしい演説で御座いました!これで皆、戦争に向けてまた働いてくれる事と思います!

痛っ・・う・・・・・、わ、私は、本当にとても素晴らしい演説だったと思います!!」


次は首から出血したらしく、極卒様が不気味に笑いながらその箇所を舐め上げた。

暫く振りの"恐怖"で、息が少し乱れているのに極卒様はお気づきになったのか、舐めるのを止めて顔を上げた。









「ひひっ、お前は死ぬまで、ボクが殺すまで未来永劫、ボクの物だよ。解ったか?なあ、









狂ってる。

狂ってる。

狂ってる。

国民も私も、このお方でさえも、狂いに狂って狂いっぱなしなのだ。

けれどそんな事はもう今更関係などない。

私にはこのお方が居れば十分なのだ。

空は白くて地面は黒い。

それでいいのだ。


「勿体無いお言葉であります、極卒様!有難き幸せ!!」


私がそう言い終わるや否、極卒様は私の唇に噛み付くように(否、実際に噛み付いた)口付けをした。

嗚呼、血の味がするのもまた日常。

嗚呼、この狂った日常が我等の住む世界であり、極卒様の生きておられる世界であり、私が息を吸うことを許可されている世界なのだ。









際限なく狂気歓喜

(貴方様のお傍で死ねるのならば、私はどこまでも深く深く戻れないぐらいに貴方様と同じ所まで堕ちて逝っても構わない)





(20070310)
(・・・何だか豪く長ったらしくなってしまった)

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