私がこちらの世界に来てしまってから、一週間が経った。
京都の気候や生活にも少しずつ慣れてきて、いーとの同居生活にも支障が出なくなってきている。
しかしながら、この一週間は色々あった…。
大変だったといえばそうだけど、それが楽しかったのも事実だった。
そろそろ夕飯の買い物に行かなくてはいけない時間になってしまった。
毎日の食事はいーが作ってくれる事になったかわりに、私はその他の家事をする事になった。
いーは、「別にそこまでやってくれなくても構わないよ」と言ってくれたけど、私にもプライドというものがある。
居候させて貰っている身分なのだから、このくらいはやって当然だ。
生活費等も出して貰っているし、いーには申し訳ないぐらい感謝している。
そんな、私の命の恩人(少し大袈裟かな?)のいーはというと、今はごろごろと寝転がって読書の真っ最中だ。
何を読んでるのかは分からないが、別に分からなくてもいいと思う。
(前に聞いた時は、いーの戯言が始まってしまった)
今日は5月15日。
物語通りなら、もう智恵ちゃんは死んでしまったのだろう。
その事はもちろん、いーはまだ知らない。
今日の夕方には分かってしまう事だけど。
そう、夕方になればあの刑事さん達がここにやってくる。
私はその場面に立ち会ってはいけない。
それに巫女子ちゃんにも会わないように努力しないといけない(昨日は危なかった…)。
会ってしまったら物語を変えてしまうかもしれないし、何より、会ったら何か、言ってしまいそうだから。
だから、
「ねぇー、いー?」
「何?僕は今、暇で暇で仕方がないよ」
「いーが暇なのは知りません。それは置いといて、これから夕飯の買い物に行きたいと思います」
「一緒に行こうか?」
「ううん、道に慣れたいからひとりで頑張ってみる」
「そう。それなら紙に書き出してあげるから、ちょっと待ってて」
メモ用紙を取り出して、すらすらと書き出すいーを眺める。
悩む事のないこの様子だと、あまりにも暇すぎてすでに夕ご飯のレシピを決めていたようだった。
それなら私も少し話とかしてればよかったかな…。
いや、でもこの物語が立て込んでいる今、知らず知らずのうちに余計なことを口走ってしまうかもしれないリスクは負えない…。
悶々と考え込んでいると、書き終わったいーが「はい、お願いね」と紙とお財布を渡してくれた。
「遅くても6時頃には帰って来るから」
「帰る時間帯はそこまで暗くならないとは思うけど、最近この辺りは殺人鬼がうろついているらしいから、十分に気をつけるんだよ。
特に、男にしては小柄で変な髪の色と変な格好の変な奴がいたら、すぐに全力疾走でその場から逃げるんだよ?いいね?」
「(………)うん、分かった。それじゃ、いってきます」
「いってらっしゃい」
鞄の中に必要な物が入っていることを確認して、扉を開ける。
とんとんとアパートの階段を降りて、最寄りのスーパーまで歩き出す。
先程いーに言われた言葉を思い返してはみるけれど、万が一にも私が彼に遭遇することはないんだろうなと、この時の私は思っていた。
・・・
「卵も買ったし、牛乳も買ったし…買い忘れないよね…」
再度確認して腕時計見ると、午後5時過ぎ。
私が記憶している通りだと、今頃いーは刑事さん達の取り調べに完全敗北を決められているか、みいこさんと一緒にドライブ中のどちらかだと思う。
それならもう帰っても大丈夫だろう。
多少荷物は重いけど、ゆっくり京都の町並みを堪能しながら帰るのも良さそうだ。
きょろきょろと景色を眺めて歩いているうちに、アパートに近づいているようで、次第に大通りからは離れて路地裏のような道になっていく。
ちょっと暗くなってきたな、なんて考えていた時だった。
後ろに、何かの気配を感じた。
勢いよく振り返ると、そこには青年が立っていた。
その青年は、私がこの物語の登場人物の中で会いたかったようで、会いたくなかった、右顔面に刺青が入った、殺人鬼もとい人間失格。彼の反対側。
青年は一瞬、驚いた表情を見せたものの、次の瞬間には、彼の持っているナイフが私の喉元に向かって振り下ろされていた。
それを奇跡とも言える形で避けることが出来たけど、普通の私が完全に避けきれるはずもなく、首筋から血が吹き出るのが分かった。
切られた部分に手をあてると、ぬめっとした赤い液体が手を染めた。
状況を整理できるだけの思考回路はあるのに、向けられた殺気で恐怖が一気に全身を駆け抜けて行く。こわい。こわい。
ここで、この世界で、私は死ぬの…?
そんなのー…、いやだ。
青年が次のアクションを繰り出そうと、一歩踏み切ったのを見計らって叫ぶ。
「ちょっと待って!欠陥を知っているよね、人間失格さん!」
今の私が助かる方法はこれぐらいしかない。
物語りに干渉してしまってるけど、これしかない。
今はそんな事を気にしていられるほどこの状況は甘くない。だって私はまだ死にたくない。
しばらくの沈黙の後、彼は手にしていた凶悪なナイフをジャケットに戻して、掛けていたサングラスを外し、にやりと笑った。
深い深い底なしの闇色の瞳を私に向けて。
「かははっ、こりゃまた傑作だな」
「………」
「そんな心配そうな顔するなっての。ところでお嬢ちゃん、一体何者?」
こて、と首を傾げる仕草をする青年。
そんな可愛いことされても、今の私は先程の殺気にあてられた後遺症で、手の震えが止まらない。
その様子に青年は申し訳なさそうな顔をした。
「…何者と聞かれましても、名乗るような名前も肩書きも、私は持っていません」
「んー、それじゃあ俺から自己紹介するわ。俺は零崎人識ってんだけど、お前の名前は?もしかしたら、どこかで聞いた事あるかもしれねえし」
「…です」
「、ねえ?聞いたことねえなー。
それで?お前はどうして欠陥製品のことなんか知ってんだ?」
「それは…」
言っていいものかどうか。
でも目の前の彼の表情を見るに、話さないと無事に家には帰してくれないような確信めいたものを感じる。
小さく気づかれないように溜め息を吐いて、現在いーと同居中だと白状する。
「同棲?! あいつがか? …かははっ、そりゃ傑作すぎんぜ。で、そりゃまたなんで? まさか優しいちゃんは隠し事せずに教えてくれんだろ?」
「………はい」
闇色の瞳はとても深くて、今度こそ完全に降伏しない訳にはいかなかった。
今までの経路を全て話す。もちろん、戯言シリーズの事は伏せて。
人識(でいいと言われてしまった)は、私の夢物語のような話を黙って最後まで聞いてくれた。
聞き終わると、「ふ〜ん、なるほどね。いや、でも…」と一人ごちり始めてしまう。
とそこで、今まで気づかなかったけど、服が赤黒く染まり始めていた。
その状況に青ざめる。
これ、いーに買って貰った数少ない服なのに…!
「ひ、人識!あの、ちょっとお願いが…!」
「ん? もうちょっと待ってくんない? なんか、もう少しで頭の整理がつきそう…」
「傷の!…傷の手当を、してくれませんか?」
「あ」
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(20050721)