第 参拾伍 話
どうやってここまで来れたのか、ぼんやりとしか覚えていない。断片的にしか思い出せない。
友の、城咲のマンションから出てきた時も頭は正常には働いてはいなかった。
闇雲に、歩き回っていたらここに着いていた。普段からの習慣というやつなのだろうか。
ここ、骨董アパートに私は居る。
朝の早い時間だったのか(確か友が正確な時間と日にちを言っていたような気がする)(けれど例えそれを
私が覚えていたとしても、この場合は大して役にはたたなかっただろう)、アパートのみんなは外には居なかった。
ふらふらと、おぼつかない足取りで数ある部屋の中の一室に入っていく。
靴を脱いで(私は常識人だ、靴だって脱ぐ)、そのまま倒れるようにその場に座り込んだ。
目まぐるしく時間が過ぎていくのが分かる。私だけが、取り残されているのが分かる。
真実はいつだって1つだろう。当たり前だ。真実が沢山あったら、どれも嘘になって本当が分からなくなってしまう。
あれが嘘だなんて、そんな事あるはずがないのは、自分がよく分かっているだろう。
だって、前に読んだのだから。
この世界に来る前に、私はこの物語を読んだのだから。
知っていて当たり前だろう。どこをどう疑うっていうの?今までの物語のすべてが、真実じゃないか。
疑いようが、ないじゃない。疑う方が筋違いってものだ。何を今更、驚く必要がある?
その時、玄関の扉が開け放たれた。
外の日の光は思ったより明るくて、扉から入り込む光が、畳に私の影を映した。そして、もう一つの影も。
「・・・・・・・・・・・・・なん、ですか?」
身体ごと後ろに振り返ると、石凪萌太が、驚いた表情をして私を見ていた。
何もかもが久しぶりなような、懐かしい感じで胸がいっぱいになって、同時に胸がちくりと痛んだ。
こうして逢うのは何日振りだろうとか、バイトはどうしたのかとか、そういう取り留めのない事ばかり
頭に浮かんだ。けれど、それらが言葉になることはなかった。
何故なら、萌太が私に向かって微笑んでいたからだ。(それはとても美しい微笑なのだ)(女の私から見ても、
羨ましいぐらいに)
何故なのか、理由は分からない。萌太の微笑む理由が、意味が分からない。
そんな私を尻目に、萌太は尚も微笑み続けながら口を開いた。
「心配しましたよ。急に居なくなったから、僕も、みい姉も他のみなさんも心配したんですから。
崩子なんか泣きそうになっていたぐらいですよ」
そんなに大変なことになっていたのか、と自分の身勝手な行動でみんなを心配させてしまったことに、
今更ながら罪悪感を感じた。せめて、置手紙でも置いていけばよかった。それも今となっては後の祭りだけれど。
玄関の扉はいつの間にか閉められていて、この四畳一間の空間には二人っきりになっていた。光が、遮断された。
何も言い返さない、相槌すら打たない私を気にすることなく、萌太は話し続ける。
「今度からどこかに外泊するようなことがあれば、置手紙でもいいから残していってください。
でないと、心配しますから。誘拐されたのかと思いましたよ。本当に心配しました。
バイト先から帰ったら、を見かけたので走ってきたら・・・姫姉の部屋に入っていったので」
ああ、ここは姫の部屋だったのか。今になってやっと気がついた。
知らず知らずのうちに、私は姫の部屋に足を運んでいたのか。
姫が暮らしていた部屋に。姫が生活していた部屋に。姫と遊んだ部屋に。姫が、生きていた部屋に。
胸が締め付けられそうな程、痛んだ。痛くて痛くて仕方がない。においも、感覚もすべてすべてあの頃のままで、
すべてがあの時と同じで、欠けたものは、紫木一姫ただ一人で。
そんなことって、ないだろう。そんなことって、あんまりだろう。そこには姫だけが存在していないなんて。
ここは姫の部屋なのに、姫が居なくちゃいけないのに、どうして、
どうして私がここに居るんだろう。
と、いきなり身体に衝撃が走った。
・・・温かい。萌太に抱きしめられていると分かったのは、数秒経ってからだった。
きつく、きつく痛すぎるぐらいに萌太は私を抱きしめている。でも私は、抱きしめ返せないでいる。
それは、驚いて思考回路が未だに追いつけていないからか、これまた別の理由から、か。
少しばかりその体勢が続いたけど、萌太がやっと力を緩めて(く、苦しかった)腕から離して、
顔を見合わせる体勢になった。
ねえ。
ねえ、なんで、あなたがそんなかなしいかおをするの?
「姫姉が死んだことは、みい姉から聞きました」
ビクッと身体が震えたのが自分でも分かった。
あの子は死んだのだと改めて実感させられた。突きつけられた現実。そう、ここは現実世界。
「崩子からも、聞きました。アパートのみんなはこの事を全員知っている。
みんな、悲しかった。僕も、悲しいです」
人が死んだら悲しい。それが大切な人ならば、尚更のこと。
それは人として当然の感情だ。なければそれは、人間失格だということ。人間ではないということ。
私は。私は、どっち?
「だから、」
泣けなかった。悲しかったけれど、泣けなかった私は、どっち?
とびっきりの微笑が私を照らす。雨のような哀しい笑顔を私に向ける。
「泣いてもいいんですよ?」
心に、胸に染み渡っていくような気がした。渇いた心に、染み渡っていく。
咽喉が痛くなってきた。視界がぼやけて見えてきた。手が震えてきた。温もりが、欲しくてたまらなかった。
縋りついてしまった、その優しさに。あなたのその優しさに縋りついてしまった。欲してしまった、温もりを。
口からは尽きることのない懺悔。目からは止まることのない涙。咽喉からは涸れることのない嗚咽。
それらすべてを、突き放すでもなく受け止めて、抱きしめてくれるあなたの優しさ。
「まだまだ、いっぱい、楽しいこと、あった、の、に。折角、ふつ、う、の女子、高生に、なれた、のに。
折角、アパート、の、みんなと、仲良、く、なれ、た、のに。折角、人、を好き、に、なれ、たのに!
私のせいで!!!私のせいで、姫は!姫は、理澄ちゃんは、朽葉は、教授は!!!!!!
わ、私の、私のせいなんだ!!!私があの時もっとしっかりしていれば!!!!!!
あの時、無理にでも姫を止めていれば!!!!
私のせいで、みんな、みんな、みんな、みんな、みんな、みんな・・・・・・!!!!!!!」
「・・・・・・・・・・・・」
「みんな、私のせいで死んでしまったんだ!!!!!!!!!」
私が、殺したようなものだろう。見殺しにしたんだ。分かっていたのに、死なせてしまった。
頑張るなんて、言ったのに、こんなの全然、違うじゃないか!どこが頑張った!?どこを頑張った!!?
お笑い種だ。いや、笑えもしない。こんなこと・・・・・・愛想笑いもできやしない。
「いいえ。それは違いますよ、」
「・・・・・・・・・え?」
「の言ったことは間違っている」
私には、萌太の言っていることが理解できなかった。
萌太の腕の中で、次の言葉を待つ。耳元から伝わる、悲しみに耐えるように絞り出された声。
その声を聞くだけで胸が締め付けられる。
「どうして、自分のせいで死んだなんて、そんなことを言うんですか」
「だ、だって・・・・・・、私があの時、姫を止めていなかったから・・・、
姫を・・・・・・・・・説得できなかったっ!!!」
「、それはただの罪滅ぼしです。現実から逃げたいだけじゃないですか。
姫姉はを恨んだりしたと思ってるんですか?最後に、姫姉はに罵声を浴びせたりしましたか?
どうして自分のせいだと思うんです。どうして自分が悪いと思うんですか!」
「・・・・・・・・・・・・」
「姫姉が死んだのはのせいじゃない。あなたが殺したわけじゃないんですから。
理由はどうあれ、死んだみなさんはあなたを恨んではいない、と僕は思いますよ。
だからそうやって、自分自身に傷をつけるのはやめてください。自分自身を憎むのはやめてください。
それは筋違いというものです。悲しいのに理由なんてありません。泣くのに理由は、必要ない」
自分自身を追い詰めて、罪滅ぼしと懺悔の言葉を口にして、ここから逃げ出したいだけだった。
正当化したいだけだった。誰かに罵って欲しかったのか、誰かに慰めて欲しかったのか分からないけど、
私はただ、逃げ出したいだけだったんだ。
姫の死を、受け止められないまま、自分だけ、逃げ出して。
「自分を責めないでください。悲しいのなら泣いてください」
だけど、萌太はそれを分かってくれた上で、叱ってくれた。逃げ道ではなく、新たな道を教えてくれた。
救われた。泣いてもいいと、言ってくれた。それがとても、嬉しかった。
「僕が―――――― 、受け止めますから。
だから、今は僕の腕の中で泣いてください」
その言葉で何かが外れたみたいで、子供のように萌太の腕の中でわんわん泣き続けた。
萌太の腕の中は、とても温かくて優しくて、それが余計に悲しくなった。
姫、理澄ちゃん、朽葉、木賀峰助教授。みんな、みんな忘れないから。忘れたり、しないから。
絶対に。
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≫いつの間にかこんなに長くなってしまった・・・。久しぶりの長文。
でも、いい感じにドリィっぽくなったんじゃないのかなーとは思いました自己満足。
本当は萌太じゃなくてみいこさんを出そうかと思ってたんですけど、ドリィということを思い出して(ォィ)、
ここは萌太を出そう!と思って登場していただきました。萌太贔屓炸裂な気がするぞ笑(20060924)
誤字等修正:20061002