第 肆拾参 話







翌日。ぼくは福岡へと向かう前に、彼女の部屋の前に来ていた。

早朝ということもあって、不眠症気味の彼女が起きていないか心配だったけれど、どうやら杞憂のようだ。

扉の前で気配を探ってみても起きているような気配はしない。

・・・・・・・・・・・・。

これじゃあ、不法侵入だよな・・・。
そこまで考えて、そんなことは今更かと思い直し、ポケットから錠開け専用鉄具(アンチロックドブレード)を取り出して、静かに扉を開けた。



ゆっくりと、なるべく音を立てないようにして中に入る。

薄いカーテンから朝日が差し込む。

狭い室内を見渡すまでもなく、すぐそこで彼女は静かに眠っていた。

ぼくは玄関に立ったまま、彼女の寝ている姿を見る。沈黙が、しばらく続いた。

靴を脱いで、そっと彼女の隣に腰を下ろす。

こちらを向いてすやすやと眠る彼女の寝顔は穏やかで、目まぐるしく起こるすべての事象から逃げ出したくなるほどに安らかで、

ぼくはどうしようもなくなってしまう。


いっそこのまま、この子と一緒にどこか遠くに逃げてしまえば
―――――――――――

そんなことすら頭を()ぎる。

はあ、と小さく息を吐く。

こんなのは、馬鹿馬鹿しい戯言だ。笑えない冗談なんて、言うもんじゃない。

何もこれが彼女との最後の別れじゃない。

福岡に行って、彼に会って話を聞いたら、また帰ってこれる。なに、日帰り予定だ。今晩には帰れる。

今夜には、彼女の笑顔が見れるはずだ。

それならぼくは、やることをやるしかないじゃないか。



彼女の頬に手を伸ばして、顔にかかった髪をよける。

さらり、さらりと梳くように髪を撫でる。

言いようのない幸福感と優越感が胸をいっぱいにする。ここから外に出たくなくなる程に魅力的な
―――――――――







「・・・・・・ん・・・・・・」







身じろぐ彼女。

それにぼくは起こしてしまったのかと一瞬ヒヤッとしたが(その一瞬の間に、ぼくは言い訳を5通りほど考えついた)、

どうやらそうでもないらしく、彼女は眠ったままだった。

ぼくは何をやっているんだろう。

撫でていた手を引っ込めて、また小さく息を吐いた。・・・・・・どうかしてる。

頭を振って気持ちを切り替える。

こんな気持ちのまま彼にあったら、本当に生きて帰れないかもしれない。生半可な気持ちじゃ駄目だ。

モヤモヤとしてしまった気持ちを振り払うように、もう一度だけ彼女の頭を撫でた。

立ち上がって、ポケットの中から取り出したメモ用紙を台所に置いて、靴を履く。







「・・・行ってくるよ、ちゃん」







ぼくはそのまま振り返らないようにして、静かに扉を閉めた。














*














徐々に覚醒していく意識に、ああ、もう朝か、とぼんやりと思った。

こんなに熟睡したのは何日・・・ううん、何週間振りだろう。

枕元に置いてあるみいこさんからプレゼントしてもらった白い目覚まし時計を見ると、まだ午前9時を回ったところだった。

本当、珍しいこともあるものだ。

昨日もやっぱり中々寝付けなくて、朝方に近い時間にやっと眠れたのだけれど、こんなに早い時間に目が覚めるなんて・・・。

しかも夢を見なかった。あの
―――――――― 悪夢を。







「・・・今日は何かいいことあるかも」







布団から起き上がって、んーっと手を上に上げて背筋を伸ばす。

カーテンを開けると朝日が眩しくて思わず目を瞑る。朝日ってこんなに眩しいものだったかな?

なんて思って、やっぱり早起きっていいなと実感した。

乾いた身体を潤すために台所に向かうと、なにか置いてあった。なんだろう?・・・紙?

よく見るとそれは、いーと私が数ヶ月ほど前まで使っていた、置手紙用のメモ用紙だった。


・・・・・・・・・なんでこんなところに?


今は紙代がもったいないという理由から2人で話し合って、

小さなホワイトボードを購入して伝言をするようになったのだけれど・・・、でもどうしてここに?

そこまで考えて、いーに何かあったのではないかと思い、急いで見るとそこには見慣れたいーの文字で




『勝手に鍵開けてごめん。ちょっと出かけるけど、夜には戻るから。』




と、書いてあった。

玄関を見ると、ほんとだ・・・鍵がかかってない。

でも、どうして無理に鍵を開けてまでこれを置いて行ったんだろう・・・・・・。

そんなに
―――――――――― 心配を、かけてたのかな・・・。

それ程までに私は、弱って、いたのだろうか。

だとしたら・・・、駄目じゃないか。こんなんじゃ。こんなんじゃ駄目だって・・・分かってるのに!!!


狐が!!!!!


脳裏に焼きついたあの嗤いがフラッシュバックする。途端に、激情しかけた思考が、すっと冷えていくのを感じた。

狐が、怖い、怖い、怖い。

また、恐怖が私を侵す。恐怖が私を脅かす。

カタカタと小刻みに震える手で、ぎゅっと入りきれない力を込めて、胸の前でいーの置手紙を握る。

大丈夫だと自分に言い聞かせても、恐怖は纏わりつくばかりで
――――――――――



コンコン、と静寂した空間にやけに大きく響くノック音。



驚きのあまり、口からなんとも情けない悲鳴が漏れた。

心臓がうるさく鳴る。落ち着け。落ち着かなくちゃ。大丈夫。ここはアパート、みんな居る。

いーだって、今晩には帰ってくるじゃないか。一緒に晩ご飯。そうだ、そうしよう。だから、大丈夫。

深く、深く、深呼吸して昂ぶった気持ちを落ち着かせる。ふうっと息を吐いて玄関の扉を開ける。


差し込む日差しが異常に眩しい。目を瞑りそうになるのを必死に堪えて尋ね人を見ると、

清楚な純白のレースのエプロンを付けて、シックな、それでいて上品なメイド服に身を包んだ







「おはようございます、さん。ご朝食を作りに参りました」







千賀ひかりさんがにっこり微笑んで立っていた。














         




≫また、間が空いてしまい、まし、た、ね・・・!ちょっと頭打ってやり直してきます、色々と。
 いーたん視点が多いですねぇ。つか口調がわからなiry
 そろそろで私の1番書きたかったムフフな箇所があるので楽しみです!(20080622)